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ロベルト・シューマン
“仮面”と“二面性”に話を戻しましょう。《謝肉祭》に関して、この二つの側面をどのように
とらえていますか?
《謝肉祭》は、“肖像画”の見事な展示場に喩えられます。コメディア・デッラルテ(訳注:仮
面を用いるイタリア演劇)でおなじみのピエロとアルルカン、パンタロンとコロンビーヌのほ
かに、実在のショパンとパガニーニも登場します。そして<キアリーナ>はクララを、<エス
トレッラ>はエルネスティーネを意味しています。さらに私たちは、これらすべての登場人
物が“仮面”であって、その裏にはシューマン自身が姿を潜めていると想像することができ
ます。 そしてとりわけ《謝肉祭》には、シューマンの“分身”であるオイゼビウスとフロレスタン
が現れます。シューマンが生んだこの二人の架空の人物が、パウルの小説で対置されたヴ
ァルトとヴルトを引き継ぐのです。オイゼビウスは抒情的な瞑想を見事に聴かせます。一方
でフロレスタンは、混沌に喩えられるほどに切羽詰まった、不安定な精神の動揺を表現しま
す。シューマンはさらに《謝肉祭》において、《パピヨン》の冒頭と末尾に現れるヴルトのテー
マの断片を引用し、「パピヨン
?
」と記しています。
《謝肉祭》には、<オイゼビウス>と<フロレスタン>以外にも、対照的な二つの要素の組
み合わせが見出されます。<ピエロ>は憂鬱ぎみで偏執的で不健全です――この曲で用
いられている、
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音から成る短いリズム・モチーフは、実に唐突にフレーズを中断させ、私を
常に不安にさせます。対する<アルルカン>は、陽気で溌剌としています。さらに、シュー
マンが愛した二人の女性を象徴する<キアリーナ>と<エストレッラ>には、ある意味で女
性の二面性が映し出されています。この
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曲の間に挿入されている<ショパン>では、シュ
ーマンがしばしの間、ショパンになりきっているように思えます。