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ロベルト・シューマン

最後に《ダヴィッド同盟舞曲集》についてお聞かせください。シューマンはクララに宛てた手

紙(1838年3月18日)にこう書いています――これらの舞曲は、《謝肉祭》とは全く異なる

ものであり、《謝肉祭》の背後に姿を隠している。まるで、仮面の裏に潜む様々な顔のように。

この考察についてどう思われますか?

重要な言葉だと思います。これはシューマンとクララのやりとりの一部です。当時まだ

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だったクララは、《ダヴィッド同盟舞曲集》と《謝肉祭》には多くの類似点が見出されるもの

の、自分は《謝肉祭》のほうを好む、と述べたのです。シューマンの死後、クララはブラーム

スに、《ダヴィッド同盟舞曲集》の美と奥深さに気付いたと告白しています。

《謝肉祭》の二年後に書かれた《ダヴィッド同盟舞曲集》もまた、ある意味で“謝肉祭”の様

相を呈しています。しかしそれは、“精神的な謝肉祭”です。各曲にタイトルはなく、《パピヨ

ン》、そしてとりわけ《謝肉祭》で展開されたあらゆる「音楽劇」や演出が、そこでは姿を消し

ています。シューマンは、全ての仮面を脱いでありのままの姿になり、物事の本質に接近

しています。登場人物は、オイゼビウスとフロレスタンの二人だけです。まるでシューマン

が――真意はさておき、それが私の解釈です――《謝肉祭》を起点に、より遠くへ、より深

い思索へと向かおうとしているかのように。《謝肉祭》においてすでに大きな自由を与えられ

ていた作曲書法も、《ダヴィッド同盟舞曲集》でよりいっそう発展させられています。そして《

ダヴィッド同盟舞曲集》は、創意や度肝を抜く独創性といった、素晴らしい要素を秘めてい

ます――ダヴィッド同盟員たちは、もはや騒々しい行進ではなく、こうした領域において、フ

ィリスティンたちに対抗するのです。