

83
ジョフロワ・クトー
新しき道
シューマンが病院に収容されてから、1856年7月29日に他界するまでの悲し
みの数年間、クララは「どこからやって来たのか誰も知らないヨハネス」を見守
り続けた――ブラームスもまた、彼女を気遣った。それは彼にとって、バッハ
とパレストリーナの遺産を熱心に学び、変奏曲の書法を発展させていった勤
勉な数年間でもある。
ブラームスはこう記している。「今日の作曲家たちの内、器楽的テクニックの
観点、音楽的アイデアの観点からみて、興味深い展開を促す主題を用いて
いる者は滅多にいない。とりわけ、確固としたバス声部を伴う主題を選ばねば
ならない。バスは旋律よりも重要だ。バスこそが真の道標として、ファンタジー
を制御してくれる。」