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ロジェ・ムラロ
《ソナタ ロ短調》は演奏者のインスピレーションや特性、気分などにより随
意に“変化”しうる作品です。その瞬間やその時の感情に左右され、ある
いは気高くそびえる作品、つまり演奏される度に常に異なりながら、それ
でも《ソナタ ロ短調》であり続ける作品なのです。
私は、リストがこのソナタの見返しページに記したロベルト・シューマンへの献呈をしばしば
好んで想い起します。ここから単に《幻想曲 作品
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》を献呈されたことに対するシューマン
への謝意だけを読み取ることはしません。むしろ、これが象徴する事柄に心惹かれます。
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人の天才作曲家が献呈者と作品を同一視しながら、尊敬の念を込め、並外れた傑作を贈
り合っているのです。
かつての私は勿論、楽曲分析を行い、《ソナタロ短調》の構造を把握していました。しか
し初めてこれを演奏した
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歳の頃は、この作品の真の意義を見落としていました。その姿
が、私が若さに任せて作品に注いだ感情のほとばしりの中で弱められてしまったの
です…。提示された後に別のテンポで再提示される主題の数々、その極めて対照的な性
格が、私の背中を押しました。《ソナタ ロ短調》、この自立した存在、ロマン派ピアノ音楽の
番人は、全貌が見えたと思えば突如はかなく消える、荒々しく対置された複雑な感情に溢
れています。そのため当時の若かりし私を翻弄することしかしなかったのです。
《ソナタ ロ短調》はつまるところ、先ほど私が述べた通り、全てを包含しているのでしょうか?
明白な答えはわかりません。しかし若かりし頃に私が感じていたこのソナタの存在理由は、
今日の私が考える――この作品を極めて重要なものにしている――存在理由とは異なる
ものでした。おそらくこのソナタから、文学が先取りしていた“ロマン主義”という語が意味す
るものを読み取るべきでしょう――バイロンが漂わせる地獄の匂い 、ヴィクトル・ユーゴーの
革新的な政治参加、ラマルティーヌやノヴァリス、ヘルダーリンの夢想!そして、シラーとゲ
ーテ。《ソナタ ロ短調》はまさしく、ファウスト的な精神を反映しています。こうした文学者た
ちが、マリー・ダグー、カロリーネ・ザイン=ヴィトゲンシュタインといった博識な女性たちと彼
が繰り広げたスキャンダラスな恋愛と共に、リストの思想を育みました。