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ゲイリー・ホフマン

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ブラームスは、アルカイズムに富んだ第

1

楽章の主題に《フーガの技法》の<コントラプンク

トゥス

3

>の一部を用いた。彼は終楽章でも

J.S.

バッハに立ち返り、<コントラプンクトゥス

13

>を引用している。さらに作品全体からも、ある種のフーガ的な性格が透けて見える。しか

し、その色彩や複雑な和声、楽器から楽器へと絶え間なく音域が交替していく音楽の流

れ——つねに明確な主導権が引き渡される——は、当時ブラームスが並行して作曲していた

弦楽六重奏曲第

2

番の影響を色濃く受けている。この“二卵性双生児”のような

2

作品が誕

生したのは

1865

年である。ソナタの第

2

楽章<アレグレット>の主部は、甘い舞曲パスピエ

を彷彿させる、軽やかで時が静止したようなメヌエットで、アントワーヌ・ヴァトーの絵画世界

をも垣間見せる。そしてトリオ(中間部)を担うレントラーは何度も中断される。それは、ブラ

ームスの霊感の源であり続けたバロック音楽を示唆する、もうひとつの手法である。続く終

楽章で繰り広げられる見事なフーガは、弓を徹底的に駆使させる煌びやかなコーダへと、

頑として向かっていく。ブラームスはこの作品を、チェロ演奏を趣味としていた声楽教師ヨ

ーゼフ・ゲンスバッハーのために書いた。ブラームスは、新作ではピアノを単なる伴奏とし

ては扱っておらず、ベートーヴェンのチェロ・ソナタにならってピアノに決定的な役割を与

えたと、あらかじめゲンスバッハーに伝えていた。初演は小さなサロンで行われたが、ゲン

スバッハーはブラームスに、もっと弱く弾いてほしい、自分の音が聴こえない、と主張した。

ブラームスはこう切り返したという。“それは君にとって幸運なことじゃないか”。ブラームスは

当初、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社に出版を依頼し断わられている。最終的に作品は

1866

年に、ジムロック社から快諾を得て出版された。