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私がシューマンのピアノ独奏曲全曲録音を開始した時点で弾いたことがあった作品
は、全体の
65
パーセントでした。そもそも、《
4
つの行進曲》《アルバムの綴り》《
4
つの
フーガ》《フゲッタ形式による
7
つの小品》などをレパートリーにしているピアニストは
滅多にいません。ときにそれは、当然であるとさえ言えます。とりわけ《
4
つのフーガ》
はかなり難解な音楽です。とはいえ《フゲッタ形式~》は、魅力的な作品だと思いま
す!作品
32
の《
4
つのピアノ曲》や《
6
つの間奏曲》、《クララ・ヴィークの主題による即
興曲》も、演奏される機会は稀ですが名曲です。ことに《間奏曲》の多声的なアプロ
ーチは、バッハのそれにかなり近いものと言えるでしょう。シューマンの音楽は、楽
器から切り離されて純理的に扱われ得ます。ときに彼の音楽をめぐっては、精神的
な内破、あるいは、頑丈ではない堤防に押し寄せる多量の水を引き合いに出して語
られることがあります。いずれにせよ、この種のプロジェクトに対峙するとき求められ
るのは、シューマンの音楽に対する並外れた愛情です。私の場合は観念論への共
感が、これを助長してくれたように思います。実際私は、ある時期に哲学に没頭しま
した。学業を終えたのは
1991
年ですが、これはルーマニアで独裁者チャウシェスク
がもっとも強権をふるった最後の数年間と重なっています。政府が唯一許可してい
た思想は、唯物論、マルクス主義でした。他方、私はプラトンやジョージ・バークリー
の思想に惹かれていました。彼らは“過激思想家”とみなされていた哲学者たちで
す!当時、主観主義や観念論は、それらが批判され根絶されるコンテクストの中で
のみ言及されていました。
ダナ・チョカルリエ