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《バラード》に比べると知名度は低いが、《幻想曲 作品

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》はフォーレが晩年に手がけた重

要な作品のひとつに数えられる。協奏的な形式をフォーレに勧めたのは、出版者のジャッ

ク・デュランであった。フォーレはデュランに宛てた

1918

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月の手紙の中で、フランスの作

曲家たちの協奏曲に言及しながら、こう応じている。「《幻想曲》の作曲をご提案いただいた

ことに感謝します。この種の音楽は、確かにそう多くはありません。そしてあなたが仰ってい

るように、サン=サーンスのピアノ協奏曲を例外とすれば、近年にピアノと管弦楽のための作

品を書いた作曲家はごくわずかです。さて、私の新作は1楽章から成ります。“アレグロ・モ

ルト・モデラート”が、途中で“アレグロ・ヴィヴァーチェ”に取って代わられ、最後に“アレグ

ロ・モルト・モデラート”が回帰するという構成です」。

1918

年の夏に、作曲は勢いよく進めら

れた。フォーレは妻に宛ててこう書いている。「思うに私の場合、年を重ねるにつれ、より速

く、より円滑に作曲できるようになっている。戦争の便りが私を鼓舞していると言わざるをえ

ないが、それは君にとっても同じ状況に違いない」。

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台ピアノ版の《幻想曲》をデュラン社

から出版したフォーレは、徐々に悪化していく聴覚障害に悩まされ、マルセル=サミュエル・

ルソーにオーケストレーションを委ねた。協奏曲版の《幻想曲》はコルトーに献呈され、彼に

よって

1919

年にパリで初演されているが、その後に頻繁に演奏された形跡はほとんどない。

フィリップ・カサール

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