

《バラード》に比べると知名度は低いが、《幻想曲 作品
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》はフォーレが晩年に手がけた重
要な作品のひとつに数えられる。協奏的な形式をフォーレに勧めたのは、出版者のジャッ
ク・デュランであった。フォーレはデュランに宛てた
1918
年
9
月の手紙の中で、フランスの作
曲家たちの協奏曲に言及しながら、こう応じている。「《幻想曲》の作曲をご提案いただいた
ことに感謝します。この種の音楽は、確かにそう多くはありません。そしてあなたが仰ってい
るように、サン=サーンスのピアノ協奏曲を例外とすれば、近年にピアノと管弦楽のための作
品を書いた作曲家はごくわずかです。さて、私の新作は1楽章から成ります。“アレグロ・モ
ルト・モデラート”が、途中で“アレグロ・ヴィヴァーチェ”に取って代わられ、最後に“アレグ
ロ・モルト・モデラート”が回帰するという構成です」。
1918
年の夏に、作曲は勢いよく進めら
れた。フォーレは妻に宛ててこう書いている。「思うに私の場合、年を重ねるにつれ、より速
く、より円滑に作曲できるようになっている。戦争の便りが私を鼓舞していると言わざるをえ
ないが、それは君にとっても同じ状況に違いない」。
2
台ピアノ版の《幻想曲》をデュラン社
から出版したフォーレは、徐々に悪化していく聴覚障害に悩まされ、マルセル=サミュエル・
ルソーにオーケストレーションを委ねた。協奏曲版の《幻想曲》はコルトーに献呈され、彼に
よって
1919
年にパリで初演されているが、その後に頻繁に演奏された形跡はほとんどない。
フィリップ・カサール
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