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マヌエル・デ・ファリャ

1918

年、編集者アンリ・プリュニエールは『ルヴュ・ミュジカル』誌のドビュッシー追悼号のた

めに、当時の錚々たる作曲家たちに協力を求めた。ファリャの《クロード・ドビュッシーの墓

のための讃歌》は、暗澹とした弔いのハバネラの様相を呈している。コーダでの<グラナダ

の夕>の引用は、ドビュッシーがなした革新の恩恵を受けたファリャの愛情を物語っ

ている。

アルトゥール・ルービンシュタインが委嘱した《ベティカ地方の幻想曲》は、

20

世紀ピアノ音

楽史上の傑作のひとつと言えるだろう。ファリャはピアノを打楽器のごとく扱いながら、カン

テ・フラメンコに由来する語彙を駆使している。ギターを彷彿させるパッセージがふんだん

に用いられ、踊り手のタコネオ(靴音)が絶え間なく響きわたる。装飾音から成る長いメリス

マは、カンタオールの歌をそのまま再現している。全体は、

A-B-A

の実に古典的な構成の

中で展開されていく。

《ベティカ地方の幻想曲》が

1919

年に完成した折、ルービンシュタインはその規模の大きさ

に面食らった。ファリャはルービンシュタインに、彼がもっとも好きなスペインの地がアンダ

ルシアであることを思い出させようとしたが、それは徒労に終わった。(訳注:ベティカはアン

ダルシアの古名)ルービンシュタインは<火祭りの踊り>風のキャラクター・ピースを期待し

ていたのだろう。翌年のニューヨークでの初演後、彼はすぐさまこの作品の演奏をやめてし

まった。

1922

年、ファリャは友人リカルド・バエザからの依頼で《ヴォルガの舟歌》をピアノ用に編曲

した。この小品の見事な和声書法と、重々しくほの暗い雰囲気は、彼の最後のピアノ曲《ポ

ール・デュカスの墓のために》でも踏襲されている。後者は

1935

年にプリュニエールからの

依頼で作曲されたもので、ファリャ本人いわく「厳かで力強く…石のように静的な」作品で

ある。

以上の純粋なピアノ曲の他に、ファリャは自身のバレエをピアノ用に編曲した

2

作品を残し

ている。