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ショスタコーヴィッチ
ドミートリィ・ショスタコーヴィッチ
は、特に苦悩や悲嘆、または憤怒を音楽で描き
出した。彼は最初の『弦楽四重奏曲』を、「春の演習」「楽しく陽気で叙情的」「第
5
交響曲の後の遊戯的間奏曲」ととらえていた。作品はまずレニングラードで初演
され、翌月、結成されて間もないベートーヴェン弦楽四重奏団によってモスクワで
演奏された。ショスタコーヴィッチはこれ以降、弦楽四重奏団のメンバーと親しく
なっていく。
第1ヴァイオリンのドミートリィ・ツィガノフはこう語っている。「『弦楽四重奏
曲第1番』の成功の後、ショスタコーヴィッチに『ピアノ五重奏曲』の作曲を依頼
した。彼の返事に私たちはおおいに喜んだ。『了解しました。五重奏曲を書きまし
ょう。そしてもちろんあなた方といっしょに演奏しますよ。』それは
1939
年のこと
で、初演は翌年に行われ[
11
月
23
日、モスクワ音楽院の小ホール]、大成功を収め
た。」
作品は
1941
年に第
1
回スターリン賞を受けた。これは、「『マクベス夫人』騒動」に
続いて
1936
年に痛烈に批判・告発された後の、(一時的な)返り咲きとなった。シ
ョスタコーヴィッチはこの五重奏曲をベートーヴェン弦楽四重奏団の友人たちと何
度も演奏し、
1960
年代にこの曲をもってピアニストとしての活動を終えている。