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ヨハネス・ブラームス_ピアノ独奏曲全集
完全なる武装をして
ゼウスの頭から生まれた
ミネルヴァのごとき人物
私は、誰かが突然に現れ、この時代の至高の表現を理想的な形で表すだ
ろうと考えていた。その人物は私たちに熟達をもたらすのであるが、それ
は才能の段階的な発展によるものではなく、完全なる武装をしてゼウスの
頭から生まれたミネルヴァの様に、前触れもなく躍進するのだと考えてい
た。その人物はついに現れた。この若き男の揺りかごを、美の三女神と英
雄たちが見守った。彼の名はヨハネス・ブラームス。(略)ピアノの前に腰を
下ろしたブラームスは、すぐさま素晴らしき国を垣間見せ、私たちをこの不
思議な世界へと勢いよく引き込んでいった。演奏は全く天才的だった。ピ
アノを、驚喜と嘆きの声をもつオーケストラに変化させてみせたのだ。彼が
演奏したソナタは、装いを施された交響曲の様だった。歌曲のすみずみに
は深い旋律が流れ、人々は歌詞を知らずともその詩情をつかむことがで
きた。それぞれのピアノ小品は、ある時は悪魔的で、またある時は優雅の
極みをみせる。各曲があまりに異なるので、まるで各々が別の泉から流れ
出でているかのようだった。そうして彼は、激しいほとばしりの中で、それら
を一つの大きな滝の中で合体させているように見えた――泡立つ波の上
には穏やかな虹がかかり、岸では蝶たちが戯れ、うぐいすが歌声を聴かせ
る。