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ドビュッシー 前奏曲集
ています。しかし『西風の見たもの』など、深いヴィルテュオーソ的要素も見て取
れます。第二集でドビュッシーは、『映像』第二集で取り組んだ、音色、音響、音
域などにおけるピアノの可能性をさらに広げます。ヴィルテュオーソ性はそれだ
けではすでに意味を持たなくなり、これが使用されるのは常に詩的表現におい
てのみとなるのです。
ドビュッシーの楽譜には多くの指示がありますが、これをどう考えられま
すか。
P.B.
どの指示もとても重要で、誠実に守ろうと努力しています。最も些細な指
示も大切にしています。小さな指示は、単にそこに書かれているだけでなく、音
楽を理解する上でのガイドとして、一つの曲の中にあるそれぞれの楽節をより良
く演奏するための方法と考えるからです。
poco crescendo
と書かれていれば誰
もが「すこしクレシェンドする」という意味だと理解しますが、その弾き方は皆違い
ます。私がドビュッシーの指示を尊重するのは、それを守って満足するというもの
ではなく、ドビュッシーという作曲家が表現するものをいかに詩的に理解するかと
いう点で、音符と同じくらい大切だと思うからなのです。
メトロノーム表示はどうでしょう。
P.B.
いくつかの『前奏曲』にはメトロノーム表示があります。その大部分は自明
ですが、『音とかおりは夕暮れの大気に漂う』は四分音符
84
と表示されていて、
これはとても早い速度になります。個人的には、この速度での演奏をいまだかつ
て聴いたことがありません。この曲をとても遅いテンポで弾く人もいます。私として