

フィリップ・ビアンコーニ
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どのようにしてドビュッシーの音楽と出会われましたか。
フィリップ・ビアンコーニ
本当の出会いと言えるものは、まだ
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〜
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歳の時、
ニース音楽院のデルベール=フェヴリエ女史(マルグリット・ロンとロベール・カザ
ドシュの弟子)のクラスにいた時でした。私よりも年長で上の課程の生徒が、『雨
の庭』や『金色の魚』、『水の反映』、『花火』などを弾くのを聞いたのです。実はそ
れまでにも年少クラスで友人が『マズルカ』や『小さな黒人』を弾いていましたが、
何の印象も受けませんでした。ところが、フェヴリエ女史のクラスで聞いたドビュッ
シーは、基本的に古典派の音楽ばかりを弾いていた私にとって、ものすごい衝
撃でした。まさかピアノでこんな音色が出せるとは、全く想像もしていませんでし
たので、文字通り魔法にかかったように魅了されました。年上の生徒のレッスンを
聴講するようにと女史に言われてそこにいたのですが、これらの作品を聴いてト
ランス状態に陥りました。特に『花火』がそうでした。この曲が弾ける兄弟子たちが
とてもうらやましくて、自分も早く弾けるようになりたいと思ったものです。その機会
は以外に早くやって来て、
1
年か
1
年半ほどたった頃、先生から弾いてもいいと
いう許可をもらいました。でもその少し前に『西風の見たもの』を練習していました。
これが私の最初のドビュッシーの「大曲」でした。
それまで友人が弾くのを聴いていたドビュッシー音楽を、初めて自分でお弾きにな
った時の物理的な「コンタクト」の思い出はありますか。
P.B.
当時の私には『西風の見たもの』は難曲でしたが、技術的な線を超えると、
この音楽に居心地の良さを感じました。それから約
6
ヶ月ほど後、先生から『花
火』の楽譜をわたされた時、とても嬉しかったのを覚えています。すぐに、ドビュッ
シーの音楽に自然に接することができました。