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ロジェ・ムラロ
リストの創作は、あらゆるものに姿を変えたプロテウスの所産に
喩えられよう――オーケストラ、声、ピアノといった媒体に応じて
様相を変える。さらには狂詩曲等の形式を完成させ、交響詩をは
じめとする新ジャンルを世に問うた。リストは、あらゆるものを創
作に取り入れた。彼の作品にはまた、ポセイドンに仕えたプロテ
ウスと同様、予言の能力が宿っていたのではないだろうか?
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世紀前半に誕生したピアノ作品の大半は、リストに負う所が多い。ラヴェルの《水の戯れ》
やスクリャービンの最晩年の作品、プロコフィエフの協奏曲第
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番がその好例だろう。メシア
ンの《幼な子イエスにそそぐ
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の眼差し》しかり。これらは、諸々のテクニックという狭義の面
においても、より未来を予見する調性の扱い方においても、リストに倣っている。前者につ
いて言えば、リストは自身の非凡なヴィルトゥオジティから得た革新的な語彙を、自作に注い
だ。
後者について言えば、リストは晩年、調性を崩壊寸前まで追い立てている――新たなハー
モニーの世界に扉を開いた《灰色の雲》や《無調のバガテル》、《凶星!》、《悲しみのゴンド
ラ》は、その混沌の中で、ひたすらシェーンベルク[の無調音楽]を待ち続けることになる。そ
の間、ワーグナーは実際の書法というよりは精神的な面で和声の発展に向き合っているが、
それは劇のために変容させられ、ある種、歪められてしまった。最晩年のリストは、一つの演
劇的な行為に書き換えるには不可能な抽象性を指向していたのだから。