

宮廷音楽家
1801
年
2
月
21
日プラハに生まれたヤン・クシチテル・ヴァーツラフ・カリ
ヴォダは、
1811
年から
1815
年まで、街に創立されたばかりの音楽院で
ヴァイオリンを学んだ。卒業証書の所見には彼が大きな資質を備えて
いたことが記されている。「ソロでもオーケストラでも非常に優秀な演
奏を行い、〔中略〕作曲に大きな才能を見せている。」
1822
年、カリヴォダは、空席となっていたドナウエッシンゲンの宮廷礼
拝堂付き音楽家の職を受ける。ここは、芸術を篤く保護していたフュル
ステンベルグ公カール・エゴン2世が治めていた土地であった。宮廷で
の音楽活動を組織する任をまかされた彼は、オペラを上演し、自身がソ
リストを務めるコンサートを開催した。また、私的なレセプションのた
めの音楽や、ドナウエッシンゲンの教会で演奏する宗教音楽などを作
曲した。
1848
年に起こった一連の政治的な出来事によって、公はドナウエッシン
ゲンを離れなければならなくなり、宮廷の音楽生活に終止符が打たれ
た。後任のカール・エゴン
3
世の宮廷では、礼拝堂の楽長職はごくまれ
にしか必要とされなかったため、カリヴォダは息子が住んでいたカール
スルーエに居を構えることが許された。居住地がかわることによって、
インスピレーションが刺激され開花されることを期待してのことだっ
た。彼は
1866
年
12
月
3
日に同地で亡くなった。