

作品番号なしの
弦楽四重奏曲変ホ長調
は、
1823
年
3
月の作曲で、
1878
年になってライプツィヒのエルラー社より出版された。この
20
分ほどの秀作が
14
歳の子供の手になる作品だと、誰が信じられようか
?
この曲は、ハイドンとモーツ
ァルトを模範にしていることが明確で、それは四つの楽章中、第二楽章のアダー
ジョ・ノン・トロッポに顕著である。モーツァルトの中期の弦楽四重奏曲の書法との
類似性が直ちに認められる。若きメンデルスゾーンが音楽を熟知し、学んだこと
をすぐさま自分のものとしていたことに、また、彼の和声の柔軟性に、ただ感嘆す
るばかりである。
弦楽四重奏曲イ短調作品
13
は、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲の中で
最初に出版された作品である。当時
18
歳の彼は、
1827
年
3
月
26
日のベート
ーヴェンの死を知ったばかりだった。そのショックのうちに、ドイツの詩人
ヨハン・ハインリッヒ・フォス
(1751-1825)
の詩に、『
Frage
(問い)』と題する歌曲作
品
9
−
1
を即興で作曲したとされている。作品は初めから、ベートーヴェンの弦楽
四重奏曲イ短調作品
132
の雰囲気に満たされている。メンデルスゾーンはベー
トーヴェンから、イ短調という調性、第一楽章のアダージョの導入部からアレグロ・
ヴィヴァーチェに至る推移部の
16
分音符、および、歌曲ですでに使用していた、
第一テーマのリズムを借りている。
弦楽四重奏曲変ホ長調作品
12
は、
1829
年春にベルリンで作曲が開始さ
れ、同年
9
月
14
日にロンドンで完成されている。作品
13
と同じく、ベートーヴェ
ンの音楽に範を取っており、ゆっくりした導入部は、ベートーヴェンの弦楽四重
奏曲第
10
番変ホ長調作品
74
「ハープ」を思い起こさせる。
42
メンデルスゾーン ターリヒ弦楽四重奏団