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シャルル=ヴァランタン・アルカン
演奏家に要求されるものは多く、演奏家はほとんど作品の媒介者になります…
スクリャービンみたいにね! アルカンの音楽に完全に納得しないなら、演奏しないほうが
いいでしょう。音楽的にも身体的にも知的にも、あまりにも多くを投入して取り組むことが必
要だからです。現在でも彼の音楽があまり演奏されないのは、おそらくそのためだと思いま
す。彼の語法を読解したり、その様式を把握したり、その詩的情緒にひたったりするための
時間を十分にとることを演奏家が受け入れなければならないからです。しかし、彼の世界に
一旦入り込んでしまえば、そこから簡単には抜け出せません。彼の音楽はあまりにもコード
化されていて、一般聴衆のために書かれたものではないように感じることが多々あります。
ソナタをとってみましょう。そこには
4
という数字が執拗なまでに関連しています。四つの年
代、四人の人物(ファウスト、マルグリット〔グレートヒェン〕、神、悪魔)を表現する四つのテ
ーマ、四つの楽章、作品全体をとおして何度も登場する四つの音符からなる核モチーフ
(おそらくバッハへのオマージュだろうと思います)等々。演奏家は、作品が生まれた天才
的な直感の源に遡って、作品を媒介のない直接的なものとする役目を担っているのです。
彼は和声面で、リストと同じくらい進歩的でしたか。
はいともいいえとも言えます。彼の和声的な大胆さは、例えば不協和音や、「偶発事」にあ
るでしょう。聴く人に至極突飛な方法で強烈な印象を与えたり、単に和声にまったく限界を
与えないなどというところにも現れています。これらは多くの場合、文学的、現実的に機縁と
なるものがあるのです。リストの場合、作品に多くのタイトルを与えているにもかかわらず、
音楽が、それ自体自然に、または純粋に音楽的なもののために展開します。リストには、音
楽を手放すような部分が、アルカンよりもずっと多く見られます。私にとってアルカンは、土
や粘度の中に埋まっていて、とてつもない戦いを経て天に昇っていくような芸術家なので
す。