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ハイドン
弦楽四重奏曲用の編曲では、序章の「マエストーソ・エド・アダージョ」からすぐ
に荘厳な雰囲気を感じ取ることができるものの、ハイドンはその仰々しさを再現し
ようとは全く考えなかった。彼自身が「ソナタ」と名付けた
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つの楽章を、愛好家
がそれほどの困難もなく演奏できるようにしたのだ。
詳しく見てみると、作品はバロック的な構成に古典的な表現を結びつけている。聖
書のテキストが確固とした伝統にのっとってバロック様式に支えられているとすれ
ばに、楽器が奏でる音色は、当時高潮に達していた古典派音楽を超えるものとなっ
ているのである。ハイドンは、ナレーション的、ドラマ的、音楽的な新しい表現を
引き起こさんとする意思を明確に表現しているのだ。そしてその形式が音楽的倒錯
を含んでいることを十分承知していた。過去においては、『十字架上のキリストの
最後の
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つの言葉』なる作品が、基本的に余楽のために存在した弦楽四重奏曲とい
う形に置き換えられるなどとは考えられないことだったからである。
司教の説教は、もはや作品の第一目的ではなくなった。なぜなら、
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つの弦楽器が
説教に取って代わっているからだ。希望、苦悩、渇望、放棄の言葉であり、さらに
は憤怒の言葉でもあるキリストの言葉は、言葉によっては表現されず、発せられる
前にすでに明かされているのだ。
イギリスの出版業者ウィリアム・フォースターに宛てた
1787
年
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月の手紙の中で、
ハイドンは声によって表現されていたものを器楽による表現に変えたことを次のよ
うに説明している。「それぞれのソナタ、つまりそれぞれの楽章は、何も知らない
人々の心にも深い感覚を呼び起こすようなやり方で、器楽音楽のみで作曲されてい
ます。作品全体は一時間ちょっとかかります。それぞれのソナタの後には、人々が次
に続くテキストについてあらかじめ考えられるように、短い合間があります。」