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スピルヴィルはアイオワ州の小さな街である。

1893

6

8

日から

23

まで、ドヴォルザークはここで、やがて彼の最も有名な室内楽曲とな

る、ヘ長調の弦楽四重奏曲を作曲した。祖国から数千キロメートルも

離れた場所で、数週間前に作曲された『新世界交響曲』と同様、この曲

も、生まれ故郷のボヘミアに唯一彼をつなげるものとなっていた。彼

は、新しくできたナショナル音楽院の院長になってほしいという同院創

立者のジャネット・サーバーの願いを受け入れて、その前年、ニューヨ

ークに到着していたのだ。彼は、

1892

年から

95

年にかけて、東海岸を旅

して、控えめながらも彼なりにアメリカ大陸を見いだした。ニューヨー

クの喧噪にすぐにうんざりしたドヴォルザークは、チェコからやってき

た人たちが多く住むスピルヴィルに居を構えた。自国から遠く離れて、

彼はまるで黄金の亡命生活のごとく、与えられた栄誉を満喫するので

あった。

この時期に生み出された幾多の音楽には、それが『弦楽四重奏曲』

作品

96

であれ、時に「インディアン五重奏」**とあだ名される『ピアノ

五重奏曲』作品

97

であれ、セラピー的な側面があったことは明白であ

る。

1890

年代、インディアンや黒人のコミュニティはお互いに出会うこ

とがなかったが、彼らの新しい和声やリズムはドヴォルザークの心をと

らえた。彼は、中央ヨーロッパの自身の文化にある民衆音楽を使うとき

にいつもしていたように、これを取り入れて色彩づけし、うまく変貌さ

せて使った。