

35
ターリヒ弦楽四重奏団
第
1
楽章(アレグロ)は怒りと絶望で幕を開ける。第
2
テーマは、音楽家が孤独
の中に退避しているかのような、より落ち着いた雰囲気である。次の「アレグ
ロ・モデラート」はホ短調という調性だけでなく、ポルカというダンスによっ
ても、第
1
番の四重奏曲が思い出されるが、それは、ドゥムカのリズムのやさし
い子守唄であるアンダンテ・カンタービレの中に消えてゆく。第
3
楽章(アレ
グロ・ノン・ピウ・モデラート、マ・アジタート・エ・コン・フオコ)は、よ
り厳かな調子でフーガの要素が披露される。これはとりとめのない不調和な印
象を与えている。
このような破調的な雰囲気の中で、ベルドジフ・スメタナは、おそらく意図せ
ずしてベートーヴェンにオマージュを捧げたのであろう。そのエクリチュール
は特に細かく練られており、最後のオペラ『悪魔の壁』の追憶が聞き取れる。
終曲(プレスト)は、スメタナが作曲した最後の室内楽曲で、チェコの色彩
が非常に濃い作品となっている。酔うようなポルカの音楽を通して、スメタナ
は、自分が生涯擁護し続けた文化に、情熱的な別れを告げているのである。彼
は、この最終楽章を「運命に対する勝利」と名付けたが、まさに的を得ている
といえよう。
密な書法や、まるで宝石職人のような細かさは、当時の音楽としては全く革新
的であった。アルノルト・シェーンベルグはこの曲への賞賛を惜しまず、作品
を詳細に研究したし、レオシュ・ヤナーチェクは、スメタナの音楽に影響を受
け、自分がスメタナの系列に連なっていることを主張している。
『弦楽四重奏曲ニ短調』は、
1884
年
1
月
3
日、プラハのコンヴィクト・ホールで
初演されたが、それは作曲家が亡くなる
4
ヶ月前のことであった。