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メナへム・プレスラー

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旅から戻ったモーツァルトは、もはや経済的な窮地から抜け出すための方策を持ち合わせ

ていなかった。そこで彼は、同じフリーメーソンのロッジに所属する裕福な織物商プフベル

クに、またも金銭的な援助を求める。モーツァルトが

1789

年7月

12

日にプフベルに宛てた手

紙を引用しよう。「ああ!私は最も憎い敵にさえ望まないほどの状況に陥っています。

ウィーンでの私の運命はあまりに酷く、どうにもこうにも全く稼ぎになりません。」旅を共にし

たリヒノフスキ侯爵――のちにベートーヴェンを支援した人物として知られる――との道中

の不和が、モーツァルトの支出をさらに増やしていた。モーツァルトの音楽活動は大成功を

収め、多くの友人音楽家たちとの再会も彼を感動させた。しかし、プロイセン王からの

6

の弦楽四重奏曲の作曲依頼と、プロイセン王女からの易しい

6

つのピアノ・ソナタの作曲依

頼を除けば、当初期待していた新作の注文は得られなかった。

最後のニ長調のソナタは、このプロイセン王女の依頼に応じて書き始められたとの説があ

る。しかしこのソナタには、演奏が“易しい”箇所は一切見当たらない。むしろこの作品に

は、極めて入り組んだ対位法が用いられている。これはおそらく、モーツァルトが少し前に

ライプツィヒの聖トーマス教会を訪問し、それまで知らなかったJ.S.バッハ作品の譜と出会っ

たことに由来するものだろう。ソナタの短いファンファーレのモチーフは対位法的に展開さ

れていくが、このモチーフが最初に提示される際には、その前触れを全く感じさせない。次

のアダージョ楽章において、モーツァルトはベートーヴェンに模範を示すかのように、「全て

の音を記譜しながら」、 テーマの声楽的・韻律的な表現に細密な装飾を加えている。アレ

グロ楽章は、冒頭のモチーフを用いて対位法を推し進める。絶えず変化する不安定な音

楽の流れを対位法が促し、その動揺が、言葉を越えた領域で描写されていく。