Background Image
Previous Page  111 / 132 Next Page
Information
Show Menu
Previous Page 111 / 132 Next Page
Page Background

111

ダナ・チョカルリエ

シューマンのピアノ独奏曲全曲を演奏していく過程で、私は彼の音楽の特質を自

分のものにしていった。催眠術のごとく脅迫的なリズム、情動を一瞬にして変化さ

せる能力――例えば優しさの極みから粗野な不機嫌さへの突然の移行――、複

数の足跡を残して錯乱させる追跡ゲームさながらに複数の声をもつれさせていく作

風、そして、ヒッチコックの映画のように過去の自作を引用していく手法……。シュ

ーマンの音楽は、知的に把握され、机上で分析されうる。とはいえピアニストは、ひ

とたび舞台に立てば、この音楽を文字通り無我夢中で演奏しなければならない。

つまり情熱や夢想に翻弄されることを恐れずに“トランス状態”に身をゆだねる必要

があるのだ。

シューマンの音楽を演奏するということは、奏者が自らの声を、疑問を投げかける

彼の声に重ねることである――ミシェル・シュネデルの『日暮れ:シューマン』の言

葉を借りるなら、シューマンの音楽は“なぜ我々は存在するのか”を小声で問うてい

るのだ。シューマンにとって腹心のような存在と言えるピアノは、彼自身の心の内奥

にある想いを受けとめてくれる楽器であった。“音楽は、誰も私に与えることができ

ないものを、私に授けてくれる。なぜならピアノは、私が音楽に置換しうるあらゆる

高尚な感情を、私のために語ってくれるのだから”(

1828

年付のシューマンの手紙

より)。

ダナ・チョカルリエ

追伸:このたびの全曲演奏では、純粋なピアノ曲のみを選曲したことをお断りしておきたい。つまりシューマン

が、ピアノとオルガンの中間に位置する“ペダル・ピアノ”のために手掛けた作品は、あえてのぞいている。ペダ

ル・ピアノ作品を取り上げようとすれば、演奏録音にふさわしい楽器がないために(この楽器の何台かは、博物

館に保存されている)、編曲版を弾かざるを得なくなってしまうからだ。確かに、じつに素晴らしい編曲版(なか

でもクロード・ドビュッシーによるものが優れている)も幾つか存在するが、それらはシューマンの原曲とは隔たり

があると私は考えている。