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メンデルスゾーン
東ドイツ(当時)の
Deutsche Verlag für Musik
(ドイツ音楽出版社)がフェリック
ス・メンデルスゾーンの全作カタログを作成出版したのはやっと
1960
年代になっ
てからのことだった。この大事業に感化された他のドイツの出版社も、それぞれ
貢献をもたらした。二つのドイツが統合されてからは、それまで両国がお互いに
対して持っていた底意がかすんでいったこともあり、メンデルスゾーンは、優遇的
な、しかし悲劇的なほど短絡化された「ライプツィヒの作曲家」(つまり旧東ドイツ
の作曲家)というステイタスから解放されることになる。
室内楽だけでなく、メンデルスゾーンの音楽全般は、こんにちでもいまだに過
小評価されている。リヒャルト・ワグナーが、「高貴な」音楽的関心事からかけ離れ
た理由で、一部の音楽に惨憺たる決定的評価を下したことについては、ここでは
詳述しない。ただ、第三帝国下のドイツはワグナーのこうした評価を受け入れ、
当時の音楽事典からメンデルスゾーンの名前を抹消するに至るのである。
加えて、メンデルスゾーンは自作品を宣伝するという点では一級とは言えなか
ったことを強調しておこう。彼自身、後世に残すのにふさわしいと判断した自作
七十二作品を選んだが、そこには、現代において大変に興味深いとされる作品
群が欠け落ちているのである。