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47 フロリアン・ノアック 時が紡ぐ糸の上で、ノアックはイリュージョンを創り出す。彼の場合、ピアニストでいるだけで は物足りない——彼は、この世界にいる喜びを噛みしめ、サッカーをし、頼まれれば手品を披 露し、演奏し、編曲し、それらすべての行為を介して足跡をぼかし、アイデンティティの牢屋か ら逃れ、意外性のある道を作ろうと努めている。 轍(わだち)の外側にあるものは、予見できない。ノアックは、イリュージョンを奏で、楽しみ、予 測不可能なことを企てる。彼が本盤にすべてを詰め込みたいと望んだのも、ごく自然な流れだ った——もはやバッハに似ても似つかぬバッハを、リムスキー=コルサコフが幾千もの色で彩 った管弦楽曲を、ルネサンスの音楽を、ジャングルの奥地で暮らす少年の音楽を、そして、幾ら か仰々しいウィンナー·ワルツを……。 ノアックは、ソフォクレスの悲劇の女主人公アンティゴネのように、ただちにすべてを欲する。と はいえ、じつに幸いなことに、彼がアンティゴネのように命を落とすことはない。それどころか彼 は、世界の複雑さと流れゆく時の簡明さに直面し、1枚のアルバムを上梓した——そこでは、す べてが許され、すべてが1台のピアノに盛り込まれ、すべてが同等の価値をもっている。言うな れば、聞き手が組み立てることができるパズルのようなアルバムである。そのとき聞き手は、時 が固定されうるというイリュージョンの中に身を置き、形づくられた一つのイメージ——世界 の中に自らの喜びの道を見出した一人のピアニストが差し出すイメージ——を発見し、悦楽 にひたる。

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