LDV98-9

45 フランソワ=フレデリック·ギィ 今回のショパン・アルバムは、失われた愛、“禁じられた”愛を体現しているのでしょうか? おそらくそうだと思います。これまで私は幾度も、ショパンの作品の録音を思いとどまって きました。今回じっさいに行動に移すに当たり、“自己精神分析”的な要素が絡むことになっ たのでしょう……。父が腕の良いアマチュア・ピアニストでしたので、幼少期の私は毎日、父 が弾くショパンの音楽を聞いていました。父が沢山の運指を書き込んだ楽譜は、今も私の 手元にあります。私自身は、最初に師事したルシエンヌ・ブロック先生のもとでショパンを 初めて弾きました。先生はミケランジェリの弟子です。先生は、ショパン作品の演奏様式に 関する並外れた知識をお持ちで、ベルカントに倣(なら)った歌唱的な旋律の奏法に通じて いましたし、ルバートが不自然ないし型通りにならぬよう心掛けながら“小さな音符たち” を奏でる方法を体得していました。後者についてはフランツ・リストが、“微動だにしない幹” と“微(かす)かに風に揺らめく木の葉”という比喩を用いて言及していますね。 当時は私がショパンを弾くと、先生が途端に「その弾き方は違う!」とおっしゃいました。こ の言葉は、楽譜を閉じるよう私を急き立てました。無論、ショパンの作品の幾つかは、その 後も常に私のレパートリーであり続けましたが……。そのうちの一つが《幻想ポロネーズ》 で、この撞着語法とも言える曲名が示唆する矛盾に、かねてから魅了されています。

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