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26 ブラームス ∙ ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15 《ピアノ協奏曲第1番》に終止符が打たれたのは1858年初頭である――この曲が起こし た奇跡の一つは、きわめて雑多な書法が完全に包み隠されている点だろう。このときまで に、ブラームスは歌曲、三重奏曲、セレナード(その曲調のいくつかはピアノ協奏曲を彷彿さ せる)、ピアノ曲などの他の楽曲を先に仕上げている。この協奏曲が同年3月にハノーファー で私的に披露されたさいには、彼もクララも大いに満足し、クララによれば“ヨハネスは喜 びで狂わんばかり”であったという。だがそれは、つかの間の喜びだった。初演、そして直後 の再演が失敗に終わってから、この協奏曲が再び演奏されたのは15年も後だった。この作 品は1873年のクリスマスに、今度はクララの独奏により、ライプツィヒで蘇演されたのであ る。 《ピアノ協奏曲第1番》は、シューマンの死を悼むトンボーである。だがいっぽうで、新進気 鋭の天才作曲家が音楽芸術の精強な創造力を称える頌歌として聞くこともできる。そして、 このジャンルのおびただしい数のレパートリーの中でも、まるで離れ小島のように、飛び抜 けて型破りなピアノ協奏曲の一つでもある。とりわけ、巨大なポルチコにたとえられる冒頭 楽章は、荒れ狂う海に激しく揺さぶられる幽霊船を想わせる。舵を取るのは、一人の幻覚に とらわれた勇敢な作曲家だ。第1楽章〈マエストーソ〉に肩を並べる音楽は、ベートーヴェン の《熱情ソナタ》の第1楽章以外には思い当たらない。それは長大な大洋の詩であり、波が 永久に寄せては返す音の海である。そこでは形式という名の堤防が、若き音楽家が放つ凄 まじい力に完全に屈している。聞く者は、ドイツ化したベルリオーズの脳内に入り込んでい くような錯覚を抱くのだ!その規模の大きさゆえに、そして比類のない強烈な性格ゆえに、 この楽章はまるで1曲の協奏曲のような貫禄を感じさせる。さらにブラームスは、“交響曲と 協奏曲と大ソナタの中間に位置する何か”を創り出すことに成功している――それは、二人 が出会うはるか以前から、シューマンが切に望んでいたことでもあった。
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