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43 ジャン=フィリップ・コラール デビュー盤を発表後、“フォーレを弾いてくれ”と何度もオファーがあったのではないです か? フランス国内よりも海外から、よく頼まれました。レッテルを貼られるのを案じた私は、今度 は私自身の考えで、次のアルバムにラフマニノフの《練習曲集“音の絵”》を――《舟歌》と相 反するものとして――収めました。みなが驚いていました。これをきっかけに、私は数年後 にウラディミール・ホロヴィッツと出会うことになります。彼は私がフォーレもラフマニノフ も弾くピアニストであることに興味を示してくれたのです。 彼とはどのような出会いだったのですか? 2時間ソファーに座って会話した後、彼からこう言われました。“私のピアノは調整を終えた ばかりで、ひどい状態なんだが、どうか弾いてみてもらえないだろうか?”と。そして彼は、あ の独特な口調で“私を驚かせて欲しい”とも述べたのです。私はあまり深く考えずに《舟歌第 6番》を演奏しました。その後に二人で、彼が難しいと感じていたフォーレの音楽について、 じっくりと話しました。フォーレ独特の転調にうまく対処できないとのことでした。私はシン プルに、頭の記憶よりも指の記憶にもっと頼ったらどうかと提案しました。
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