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フローリアン・ノアック 35 スクリャービン、ラフマニノフ、そしてとりわけムソルグスキーが用いた“語彙”は、リャプノフ のそれとは異なります。チャイコフスキーのピアノ作品には、多少の例外は別として、リャプノ フほどのスケールや野心的な楽器の扱いは見受けられません。そもそもボロディンとリムス キー=コルサコフは、ピアノ作品をほとんど書いていません。 リャプノフの書法は、時にバラキレフのそれと酷似してはいますが、彼特有の穏やかさ、優し さ、はかなさ、熱度によって、バラキレフとは一線を画しています。 “亜流?…そうかもしれない。だが美の創造者は、いかなる(美学的、哲学的、 倫理的な)信条を標榜していようとも、決してないがしろにされてはならな い。そのうえ、バラキレフの知名度がリャプノフのそれと大して変わらぬ現代 において、この種の――日ごとに泉から水を汲むような――意図的な模倣 は、それほど致命的な難点であるとは思えない。” (ギイ・サクル『ピアノ音楽 La Musique de piano』)

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