LDV90

フローリアン・ノアック 33 おっしゃるとおり、彼の《練習曲》は、わずかな矛盾をはらみつつ見事な均衡を保っていると 思います。リャプノフの練習曲集は、リストのそれを上回る“超絶ぶり”を期待されたはずで す。しかし私には、リストの練習曲集のほうが、より極端で劇的に感じられます。おそらくリス トは、自身の《練習曲》が、それまでに書かれたどんなピアノ練習曲をも圧倒するものである と自覚していました。言わば超過と逸脱が、リストの《練習曲》のアイデンティティを形作っ ているのです。 いっぽう、リャプノフは革新者ではありません。彼は、敬愛する先人たちに自分が何を負って いるのか、全てはっきりと認識していました。むろん彼にも、叙情的で華麗で迫力満点のピ アノ音楽を書くことは出来たはずです。(彼自身が傑出したピアニストであったことは、彼の 演奏録音からも明らかです。)しかし私が想像するに、この彼自身の“認識”が、あらゆる過剰 な表現、絢爛なヴィルトゥオジティ、荒々しいロマン主義に対する解毒剤ないし歯止めとな りました。 確かにリャプノフの音楽は、ほぼ常に奏者に“離れ業”を求めます――おそらくはヴィルトゥ オーゾとしての素養ゆえに、彼の明確な意志のもとで。それでもリャプノフの音楽の本質は、 より内省的であると思います。おそらく彼は、〈レズギンカ〉の熱狂的な曲調や、終曲〈エレジ ー〉の華麗なエンディングにおいて、やや無理をしています。しかし私は、〈子守歌〉や〈夏の 夜〉では、リャプノフの真の“声”を――他者の影響を受けながらも特徴的な“声”を――聞い ているような気がします。

RkJQdWJsaXNoZXIy OTAwOTQx