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フローリアン・ノアック 39 “アルバムの録音は、否が応でも自己についての思索を促しま す。それは揺るぎない事実です。” こうしてノアックは、青年期の過去の自分と、大人になった現在の自分とを対置させることに なった。プロコフィエフの作品は、まるで(ピノキオの成長を助けた)ジミニー·クリケットのよう にノアックに寄り添った。本盤に収められた幾つかの作品——とりわけ鍵盤を粉砕しかねな い打楽器的な楽曲——が、ノアックに過ぎ去った青春時代の激烈な感情を思い出させたの だ。これらの作品は、かつては情熱の“はけ口”であったし、成長過程の何とも厄介な時期 に特有の攻撃性を凌いでいた。 “私は《ソナタ第6番》を録音しながら、自分がこの種のエネル ギーから完全に遠ざかっていたことに気づき、大いに驚かされ ました。” だからこそノアックは、このソナタの演奏を準備する際、作品を主観的な解釈で満たさない よう細心の注意を払った。彼は、作品を支配し、作品に意味を与えうる伝記的な要素とは 出来るかぎり距離を置こうと努めた。それは、もっぱら作品の構造に意識を集中させるため に、みずからの想像力を締め出すことに他ならない。つまりノアックが追求したのは、作品 に内在する筋書きだけに満足し、ただ音によって、そしてハーモニーによって、曲が表現し ようとしているものを“翻訳”することである。あたかも、過去の自分のロマン主義的なアプロ ーチから音楽を引き離し、その行き過ぎた熱弁を和らげようとするかのように……。

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