64 1402年、オルガン製作家フレデリク・シャンバンツが、ノートルダム大聖堂の“西のバラ窓” の下部に位置する石造りの楽廊にオルガンを新設した。以来2世紀以上ものあいだ改修は なされず、17世紀に至る。1608年から1610年にかけて、ヴァレラン・ド・エマンが第2鍵 盤・風箱、つづいて第3鍵盤・風箱を追加。後の1733年にフランソワ・ティエリーが改造を任 されると、5つの鍵盤と47のストップを備えたオルガンに変身し、フランス王国の最上の楽 器とみなされることになった。 18世紀の2度目の改修(1788年)を進めたのはフランソワ=アンリ・クリコである。幸い、直 後のフランス革命では、外箱のユリの紋章(フランス王家の象徴)が斧で破壊されただけの僅 かな被害しか受けなかった。教会が権威の象徴であったことから、革命期のあいだ、名器とさ れるオルガンが次々に各地で破壊されたが、ノートルダム大聖堂のオルガンはこの破壊令も 免れている。 19世紀には、オルガンの画期的な音色や響きを考案した希代の名工アリスティド・カヴァイ エ=コルに、ノートルダム大聖堂のオルガンの大改造が託された。彼はこの楽器に、種々の倍 音ストップやミューテーション、リード・ストップ(バスーン、クラリネットほか)などを導入し、 比類のないシンフォニック・オルガンへと生まれ変わらせた。じっさいカヴァイエ=コルは、 みずからの最高傑作を手がけたと自負していた。大改修を経て完成披露行事が行われたの は、1868年である。 種々の修復が重ねられた後の1963年に、再び改修が行われた。(ノートルダム大聖堂のオル ガニストを務めた)ピエール・コシュローが中心となり、カヴァイエ=コルが導入したバーカ ー・レバー・アクションがエレクトリック・アクションに交換されたのである。さらにジャン・エル マンによって、新たなコンソールが設置された。その後、ロベール&ジャン=ルー・ボワソー親 子が、古典主義様式のプラン・ジュと、ティエリー時代の外箱を彩る水平トランペット管を加 えた。これは、当時のオルガン製作の主流だった新古典主義的な美意識に、楽器の音色や響 きの方向性を近づけようとした結果である。
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