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ジョフロワ・クトー / アモリ·コエトー / ラファエル·ペロー / ニコラ·バルデイルー 33 その点においてブラームスは、ベートーヴェンとは対照的である。ベートーヴェンは素材と 形式を柔軟に結びつけようとし、両者を糸のように撚り合わせた。一方でブラームスの音楽 には——あえて喩えるなら——“女性的な”態度がみとめられる。調和の回復を優先させ、ど んな衝突や対立をも“吸収”しようとする姿勢は、ブラームスの4つの協奏曲において最も 顕著に表れている。そこでは“輝かしい”外的な要素が、常に全体に従属し、ただ全体との 関係によって、その存在意義を獲得している。ブラームスの音楽を解くキーワードは、“内 面性”である。音楽はそれなしには存在しえない。内面性こそ、彼の音楽のアルファであ りオメガであり、彼が異常なまでに早熟だった要因でもある。1853年にブラームスと出会っ たシューマン夫妻の心を動かしたのも、この内面性——20歳の若者の驚くべき内省と使命 感——であったに違いない。ブラームスのピアノ演奏も彼自身も、堂々たる美を誇っていた が、彼はそんな美には無関心を貫いた。彼を誘惑するものなど、微塵も存在しなかった。 あの生真面目なシューマンでさえ、時に軽妙になることができたのだから、見上げたもの だ!ブラームスには、成熟し賢明になるために、年齢の重みが増すのを待つ必要がなか った。“厳粛さ”を例に取ろう(結局のところ、ブラームスが死の一年前の1896年に書き上げ た最後の大作の曲名“厳粛な歌”は、彼の創作人生を要約している。なぜなら彼の全作品 が、一つの長大な“厳粛な歌”だったのだから!)どうやら、ブラームスの音楽は最初から“ 厳粛”だった。それを理解するには、1854年の《4つのバラード》を聞くだけで事足りる。い ずれのバラードにも、40年後に書かれたと言われても何ら違和感を与えない貫禄がある。 そして私たちは、初めから終わりまで、ひたすらに厳粛であり続けた一人の天才の特異な スペクタクルを目の当たりにし、唖然とすることになる。“グラーヴェ”(Grave):フランスの詩 人ピエール・ルヴェルディは、“人生は厳粛(grave)だ。一歩一歩、登って(gravir)いかね ばならない”と書いた。この格言は、ブラームスにぴったりである。ただし彼は、人生の出だ しで登りきってしまった。

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