LDV64.5

32 ブラームス_三重奏曲OP.8, 87, 101 & 114 シューマンを突き動かしていた強烈な主観性は、おそらくはロマン主義の極みを体現して いる。これに比べると、彼と近しい関係にあったブラームスは、ある種の客観的なロマン主 義を貫いたようにみえる。この客観性こそが、“形式”という名の堅固な防壁の力を借りて、 ブラームスに押し寄せる音の激流を押し返していたのかもしれない。もしも形式が存在しな ければ、彼はこの激流に呑み込まれていたはずだ……。じっさいブラームスは、凄まじい 勢いで熱烈に感情を喚起するピアノ曲集《4つのバラードop.10》においてさえ、伝統的な ABA形式を用いている。それでも彼は、この穏当な“枠組”の中に、極めて表情ゆたかな 音世界を奇跡的に築いてみせた。言うなれば形式は、包み込み、安堵させる——ブラーム スの全芸術も、この無意識の二つの所作の狭間で展開されている。だからこそ、意図的で あるか否かはさておき、彼の作品群のそこかしこには、あれほど多くの“子守歌”がひそん でいるのだ…(アポリネールは“お前の魂は子供/私が揺すってあやすのだ”と書いた。) そしてこの二つの所作は、私たちがブラームスの音楽から優しさと寛大な愛情を多分に感 じとる理由を説明するものでもある。

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