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44 VIRTUS モーツァルト、あるいは純化されたヴィルトゥオーゾ 「易しいソナタ」の愛称をもつ《ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調K.545》が本盤に収められてい るのは、ミシェル・ダルベルトによる挑発なのだろうか? モーツァルトのイメージは、“自作を 奏で、そのカデンツァを即興で弾くヴィルトゥオーゾ”である。K.545は決して初心者向けでは ない。というのも、この曲におけるヴィルトゥオジティとは、ある種の簡明さを、完璧さの証(あ かし)として示すことにある。つまりピアニストは、完璧なバランスで緊張感とアーティキュレ ーションを維持するよう求められている。 ミシェル・ダルベルトは次のように詳述する。「そこでは1音1音が意味を有しています。モー ツァルトの作品に取り組むとき、それがソナタであろうと、協奏曲であろうと、室内楽曲であ ろうと、私は何らかの物語をこしらえます。より正確に言えば、オペラの一場面を想像します。 モーツァルトの音楽世界では、さまざまなジャンルが絶えず混在しています。アリアが器楽 のソナタに生気を与え、弦楽四重奏曲が交響曲を支えている、というふうに。そして私は今 回、K.545を数年ぶりに演奏することに、特異な喜びも感じました。私が対峙したのは、もは や同じ作品ではありませんでした。なぜなら、演奏曲は同じでも、私自身の感性が変化してい たからです。今回は、声楽的な旋律のしなやかさや、架空の対話……要するに“人間らしさ”を 見出そうと努めました。リピートのさいに変化を加えたり、即興を彷彿させるような弾き方を したりすることで、“物語”はさらに豊かさを増しています」

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