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37 クレマン・ルフェーヴル 次なる《2つの詩曲op.32》は、このプログラムを新たな世界へといざなうのでしょうか? 今回、《2つの詩曲op.32》とともに、スクリャービンの第2の創作期への窓を開きたいと考え ました。《2つの詩曲》は、彼が作曲した約30曲の詩曲のうち、最初の2曲に当たります。極め て凝縮された書法と、その表現の力強さゆえに、2曲は音楽的なアフォリズムにたとえられ ます。即興曲の優美で洗練された官能的な旋律線は、《2つの詩曲》にも見出されますが、そ れらの和声的な扱いは全く異なります。掛留音や和声の緩慢な変化が、旋律をとらえどころ のないものにしているのです。《2つの詩曲》の第1曲は、その漠とした響きとリズムの揺れに よって、極端な平穏をもたらします——弾き手としては、どこに向かっているのかも、今どこ にいるのかも分かりませんが、ここではそれは何ら問題になりません! そのとき私たちは、 かなり特殊な状況で“今この瞬間”を生きることになります。じっさい、この詩曲を弾いている と、即興しているような感覚を抱きます。2曲目の詩曲は、曲の短さゆえに第1曲とはアンバラ ンスですし、第1曲よりもさらに意表をつく音楽です。演奏者は、スクリャービンの指示にあ る“コン・フィドゥーチャcon fiducia〔自信を持って、の意〕”な曲想を優先させ、“コン・エレガ ンツァcon eleganza〔優美に、の意〕”な曲想を軽視したい誘惑にかられますが、後者こそ、 スクリャービンが先に記している演奏指示ですし、私自身、一番重要な要素であると考えて います。いずれにせよ二つの演奏指示のあいだで、絶妙な均衡を見出す必要があります。こ れら《2つの詩曲》とともに、私たちは《ソナタ第3番》と《幻想曲op.28》のロマン主義的な息 吹——いわば1人称による語り口——から離れ、筆舌に尽くせぬ陶酔の世界に足を踏み入 れることになります。

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