LDV137

40 ジャズ・エイジの物語 彼らはみな、酒を飲んだ。浴びるほど飲んだ。フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、そしてアイ ルランド人ジェイムズ・ジョイス。彼らが酒を飲んだのは、パリが日ごと祝祭日——ヘミング ウェイいわく「移動祝祭日」——であったからだ。いつかは終わる仮初めの祝祭日であるこ とを、あえて口にする者は誰一人いなかったが、みながそれを直観的に知っていた。先の大 戦はまだそばにあり、次の大戦の萌芽が既に脅威を突きつけていた。恐れたり、再び戦闘を 交えたりする前に、浮かれ騒ごうではないか。酒好きのアメリカ人たちのためにも、十二分に 浮かれ騒ごう。彼らの国では、アル・カポネ〔禁酒法時代のシカゴで酒を密造・販売したギャ ング〕の子分たちに注文しないかぎり、ビール一滴、飲めやしないのだから。アメリカでは、あ らゆるものが逆立ちしているように見えた。女性たちは男性のような格好をし、タバコを吸 い、1920年から投票権を手にしていた。若者たちは反抗し、性について語り、この「狂騒の 20年代」の堕落が道徳を脅かしていると考える厳格な人びとを怯えさせた。踊る若者たち は、チャールストンとジャズの力を借りて、上品ぶった偏狭な人びとの顰蹙(ひんしゅく)を買 った——ジャズは、ますます勢力範囲を拡大していくラジオの電波に乗って、バクテリアのよ うに人びとに広がっていく。そしてこれらのダンスが、大西洋を飛び越え、パリまでやって来 た! ジャズの国アメリカは、表現の自由が約束された“お祭り騒ぎ”の舞台をパリに見出し たのである。

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