63 テオ・フシュヌレ そのようなフォーレ特有の“流れ”を、どのように理解していますか? その流れはどこへ 向かうのでしょう? それは特殊な流れです。フォーレは、しばしば拍子感を濁らせ、フレーズを曖昧にし、小節線 を——それを取り払うことを望んでいるかのように——またいでいきます。私たちは、彼の 音楽の流れに付いて行かなくてはなりません。それが、流動性、情熱、苦闘、静穏など、いか なる方向に傾こうとも……。フォーレの音楽における時間は数学的ではないため、演奏者 は、道に迷うこともありえます。私自身は、旋律の緊張感——彼のフレーズがはらむ緊張感 は、遅いテンポかつ弱音(p)である場合に高まります——をつねに維持することが重要だと 感じています。その後にやってくる激情の瞬間が緊張感を解放する時、酸素が溢れ出ます。 私たちは、この最高潮にとどまりたいと欲しながらも、再び“下”に降り、静けさを見出さなけ ればなりません——それは、フォーレの夜想曲のほぼ全てのコーダがもたらす静けさです。 フォーレは、この“曲を閉じる才腕”を比類のない次元で有していました。その手法は多様で す——歌曲〈お前が行ってしまう前にAvant que tu t’en ailles〉(『優しき歌』第6曲)の華 麗な曲尾を彷彿させる《夜想曲第9番》の白熱のエンディング、第12番を締めくくる崇高なコ ーダなど……。そして私は、第13番を閉じる胸を打つドラマと最期の息吹こそ、何にもまし て優れたコーダであると考えています。 〔注〕“vasteettendreapaisement”:ヴェルレーヌの詩「至福の時」の一節。フォーレは歌曲集『優しき歌LaBonne Chanson』で、「至福の時」に音楽を付けた。その後この一節は、ウラディミール・ジャンケレヴィッチの『Le Nocturne[夜 想曲]』(Paris: Albin Michel, 1957)で引用された。本インタビューでは、ジャンケレヴィッチ著『Fauré et l’inexprimable[ フォーレと、言葉では言い表せないもの]』(Paris: Plon, 1974)も参照されている。[英訳者による注]
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