LDV122

52 ショーソン / ラヴェル | ピアノ三重奏曲 〈終曲:生き生きと〉には、バスク地方の舞曲からの影響がみとめられます。この霊感に富 んだ活気ある音楽が放つ輝きは、制御されるべきでしょうか? ロール=エレーヌ·ミシェル: もちろん、制御してはいけません! 〈終曲〉では個々の奏者 が、身体面でも感情面でも持てる力を最大限に発揮しますから、そこには“制御”が入り込む 余地などありません。 ナタン·ミエルドル: ロール·エレーヌと同意見です。この曲の活気は制御不能です! ヴィクトル·メトラル: 挑発的な言い方を避けてお答えするなら、ラヴェルの音楽において、バ ランスは自(おの)ずと生じるものです。各声部があまりに明快に書かれており、他の声部と の関係に基づいて定められているがゆえに、それらに無理な力を加えることは全くもって無 益です。 その点においても、ショーソンの三重奏曲とは一線を画しますね… ヴィクトル·メトラル: 確かに、ショーソンの三重奏曲に宿る感情はあまりに強烈ですし、弾く べき音があまりに沢山あるので、私にはピアノを最大音量で鳴らすことは不可能です——も しもそうすれば、ヴァイオリンとチェロの音が全く聞こえなくなってしまうでしょう。これは、 大半のロマン派時代の室内楽曲にも指摘できることです。その好例がメンデルスゾーンの三 重奏曲だと思います。そしてショーソンの音世界は、まだロマン主義の中に浸っているのです。 ナタン·ミエルドル: 音量のバランスを取るという点で、より複雑なのは、ショーソンの三重奏 曲です。ラヴェルの譜では、全てが明示されていますからね。

RkJQdWJsaXNoZXIy OTAwOTQx