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45 上野 通明 1717年12月、ケーテン(1847年までアンハルト=ケーテン侯国 の首都)の宮廷で新たな職を得たバッハは、全く新しい“音楽人 生”を歩み始めた。この地の信仰を司る改革派教会(カルヴァン 派)が新たな礼拝用音楽を必要としなかったがゆえに、バッハに とって宗教音楽の作曲は二の次となったからである。ケーテン時 代は、バッハの人生のうち、もっとも多作で幸せな時期の一つだ った。なぜなら、概して自分が書きたい音楽を書けたからである。 じっさい、この時期に《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパル ティータ》、《無伴奏チェロ組曲》、そして《ブランデンブルク協奏曲 集》などの管弦楽作品、ヴァイオリンと鍵盤楽器のための一連の 協奏曲、《平均律クラヴィーア曲集第1巻》などが生まれた。バッハ は、さまざまな楽器の最新の技術改良を活用し、多様な音楽形式 を深く掘り下げた。さらに当時の彼は、民俗音楽に起源をもつ形 式――とりわけ彼の器楽曲に欠かせない種々の舞曲――を取り 入れ、自身の書法を充実させていった。
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