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41 フランソワ=フレデリック·ギィ 要するに“統制された自由”ということですね……。それは――このような大胆な比較が 許されるのであれば――バロック時代の音楽書法との共通点です…… たしかに心理的に似通っています。ミュライユの作曲様式が示す自由な思考は、彼の楽譜 の視覚的な美の中にさえ見出されます。小節線が取り払われており、幾つかのフレーズは、 密集したり重なったりする音符の塊から形作られています。彼は、ごく個人的でありながら 演奏者に雄弁に語りかける記譜法によって、自由を描いているのです。そうして彼は、1970 年代の“現代音楽”が抱えていた問題の一つを解決しています。なぜなら当時、新作の楽譜 は、時に常軌を逸した小節線で埋め尽くされていたからです。その是非はともかく、当時は、 小節線を増やすことによって伝統を破れば、拍節から自由になれると考えられていました。 他方、ミュライユの作品では、音が空間化される代わりに小節が姿を消しています。そのき ざしは、早くもドビュッシーの作品の中に見出されます。 和声の観点からみると、スペクトル音楽の世界は、伝統的な調性から生じる和音との微か な合流点を提供することで、じつに魅力的な“ポスト調性音楽(ポスト・トーナル)”の和声的 領域を創り出しています。それゆえに、受け手である私たちは、自分を取り巻く和声的世界 が何であるのか明確に分からず、いっぽうで決して当惑することもありません。それは私に とって、21世紀の理想的とも言える音楽表現の方法です。

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