LDV109
46 ラヴェル / ピアノ独奏曲集 ラヴェルは、自身の多くの鍵盤作品を管弦楽用に編曲しました。《高雅で感傷的なワルツ》 も、その一例です。彼のピアノ音楽の色彩は、オーケストラのそれを志向しているのでしょ うか? 間違いなくそうです。それは、彼が管弦楽用に編曲しなかったピアノ曲にも当てはまります。 ドビュッシーは、ショパンと同様、同時代の楽器(ピアノ)がもつ和声的な可能性や音色を余 すところなく探求しました。いっぽう、リストの精神の継承者としてのラヴェルのピアノ曲は、 楽器を超越しようと望んでいるような印象を与えます。ラヴェルとリストの類似性は、《水の 戯れ》や《夜のガスパール》、そして《鏡》の数曲において明白です。しばしばラヴェル自身が 示唆していたとおり、〈オンディーヌ〉とリストの〈鬼火〉(《超絶技巧練習曲集》)を聴けば、二 人の“親子関係”は一目瞭然です。2曲の終結前の数小節を比べてみると、調性は異なるもの の、最後の走句の和声は全く同じです! 〈スカルボ〉の場合も、二つの対照的な主題の対 立、悪魔的なヴィルトゥオジティ、暴力的で辛辣な反復音——それはリリシズムの喉元を荒 々しくつかんで遮ります——が、リストの《メフィスト・ワルツ第1番》を想い起こさせます。〈オ ンディーヌ〉と〈スカルボ〉のあいだに挟まれた〈絞首台〉は、謎めいた曲です。それは2曲の世 界のどちらにも属していません。生命が消えた無機質な風景の中で、私たちは傍観者と化し ます。無情な弔いの鐘の音、あの無表情で催眠性のある変ロ(シ♭)の音は、死を喚起します が、それは曲の元になった詩の作風とはかけ離れています。私たちは、本当に恐怖を感じて いるのでしょうか? 先ほど私は、“海原の小舟”が、空っぽなままぽつんと浮かんでいるよう に感じられると述べましたが、それと同様、私たちの目の前にある“絞首台”も、処刑された人 物がまだロープに吊られたままそこにいるのかは疑問です。
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