LDV109
43 フィリップ·ビアンコーニ 今しがた、表情の豊かさ、官能性、そしてラヴェル作品との個人的な絆について語っていた だきましたが、そうなると、“自由度”について質問せずにはいられません。つまり、これほど 緻密で慎み深い音楽に対して、演奏者が自身に許すことができる自由の度合いについてで す。ラヴェルの音楽には、演奏者が自由に振る舞う余地があるのでしょうか? もしそうで あれば、その自由を、どのように定義なさいますか? 自由をめぐる問いは避けては通れず、どんなレパートリーにも付きまといますが、特にラヴェ ルの作品を演奏するさいには極めて重要になります。奏者が、自分自身にいかなる自由も許 さないと決意し、作曲者が定めた音を厳密に奏でることは簡単です。ところが、先ほど紹介 したラヴェルの警句は挑発でもあるのです! 彼は、自分の音楽がどう響いて欲しいのかと いうことに関して、寸分たがわぬ考えを持っていたがために、同時代の奏者たちの時に“お節 介”すぎる性分や、彼らの主体性を警戒していたのです。私自身は、すすんで突飛なことをす るような性格ではありません。しかしながら、彼の音楽の至る所にある“表情豊かに”という 指示を無視するわけにはいきません! この指示を、どのようにピアノで具現すればいいの でしょうか? フレーズの輪郭、音素材、サウンドに、完璧に磨きをかけるべきでしょうか? あるいはアゴーギク(速度法)に注意を向け、あえて比較的に自由なリズムを用いてフレージ ングをおこなうべきでしょうか? たとえば《高雅で感傷的なワルツ》の場合、ウィンナー・ワ ルツの習慣にならって、各小節の2拍目の入りを少し遅めるべきでしょうか? ラヴェルの音 楽は、有機的というよりは形式的で、極めて古典的な旋律と楽節構造を有しています。この ような優れて“ラヴェルらしい”設計は、旋律的な要素の中にも見出され得ます。〈オンディー ヌ〉は、その色彩と水のような響きに加えて、驚異的に美しく感動的に非の打ちどころのない 旋律も特徴としています。私たちは、その音符を単に奏で、それらが自然に発展するのを期 待すべきでしょうか? そこに何かを足す必要はあるのでしょうか? 効果を強調したり狙 ったりせず、それでもフレーズを花開かせ、フレーズが息づくよう促し、同時に表情が豊かに なるよう努める……そこに〈オンディーヌ〉の難しさがあります! この音楽は、奏者に美的 直感と機敏な精神を求めており、そこではしばしば、微妙な抑揚が鍵を握っているのです。
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