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49 ミシェル・ダルベルト リストはほぼ一貫して、弟子たちへの《ロ短調ソナタ》の演奏指導を拒みました。この曲が あまりに個人的な作品であることが、その理由だったようです。あなた自身は、このソナタ の自伝的な側面をどのようにとらえていますか? 確かにリストは、この曲を読み解く手がかりをいっさい残しませんでした。それは――逆説 的ですが――ひじょうに示唆に富んでいます。しかしながら、分析をとおして、この曲の“源 泉”をある程度まで理解することはできます。ソナタの冒頭に置かれている二つの音階に注 目してみましょう。この二つは、それぞれ異なる旋法にもとづいています。一つ目(0分05秒 ~0分13秒)は、宗教音楽で用いられるドリア旋法から成っており、二つ目(0分19秒~0 分28秒)には、ハンガリーないしジプシーの音階が用いられています。つまり二つは、信仰 と、政治的、さもなくば愛国的な側面――リストは早くに“祖国”を離れた後も、その動向を 熱心に注視していました――を想起させます。言わば信仰心と愛国心が、このソナタの展 開を支える二つの柱なのです。この二つの下降音形は、フガートの前(18分39秒~19分 04)、さらに曲の結末(29分01秒~29分22秒)で再び鳴らされ、曲全体の構造の土台を 強化します。同様の手法は、ブルックナーの《交響曲第5番》にもみとめられます。《ロ短調ソ ナタ》の他の要素にも目を向けてみましょう。たとえば緩徐楽章(第2部)は、もっともシン プルな楽式の一つであるリート形式(12分14秒~)で書かれています。それによってリスト は、自身の信仰――複雑なものとは無縁の、ひじょうにシンプルな信仰――を表現しようと したのではないでしょうか。もちろん、すぐさま誘惑が戻って来て、信仰と誘惑が烈しく対立 することになります。しかしながらこのソナタは、結果として信仰が打ち勝った ことを暗示 するかのように、穏やかに、慰めるように閉じられます。このリート形式はカデンツ(終止形) とともにはじまります。リストは、自分にとって祈りこそが最終的なものであることを私たち に伝えようとしているのかもしれません。

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