LDV104
49 ジャン=バティスト·フォンリュプト ミヒャエル·エンドレスのもとでは、モーツァルトとシューベルトを演奏するさいに問われる 優雅さ、明晰さ、簡明さをいっそう洗練させた。そしてエリソ·ヴィルサラーゼのもとでは、レ パートリーを広げ、ピアノの響きの世界をいっそう開拓した。フォンリュプトは、さまざまな 響きの次元――たとえばオーケストラの響きや、彼が屈指の劇場を渡り歩き愛聴するオペ ラの響き――を夢に描く。磨き抜かれた音、多彩な音色、強烈な抒情性、そして時に必要と される優 しく抑制された表現は、彼の演奏をある理想へと向かわせる――それは“楽器の 王”ピアノの存在を賛美しながら、同時に楽器の存在を聞き手に忘れさせるという、究極の 理想である。 散策と旅を愛するフォンリュプトは、巡礼者でもある。彼は過去の作曲家たちとの出会いを 求めて、また彼らの作品が生まれた場所に惹かれて、シューマンの魂が舞うボンのライン川 岸、ショパンの思い出が刻まれたノアン、ラヴェルが晩年を過ごしたベルヴェデールの家を たずねる。またフォンリュプトは、彼ら――とりわけリスト――の作品と、楽曲構造やその力 強い印象から湧き出でるものものを本能で感じ取り理解するために、そしてラフマニノフや ストラヴィンスキーらの音楽が差し出すイメージを物語り、描くために、巡礼を続ける。今日 を生きるフォンリュプトは、彼の新たな“ヒーロー”である同時代の作曲家たちから、新作の 初演を任されている。それによって彼は、バッハから始まる自身のレパートリーを前へと押 し広げていく。 フォンリュプトにとって舞台は、独りで、あるいは誰かに寄り添われて、音楽とともに時間を 共有する“世界”である。その時間は、彼が耳を傾ける聴衆と、彼に霊感を与える沈黙に依 存している。静けさに浸る山々と同じように、フォンリュプトが立つ舞台は自然の一部であ り、自由が約束された空間であり、彼が幸福を実感できる場所である。そのとき舞台には“ 瞬間の魔法”がかかり、この世界に、新たな音楽的感情が生じることになる……
RkJQdWJsaXNoZXIy OTAwOTQx