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51 グザヴィエ・フィリップス | セドリック・ティベルギアン ウラジミール・ジャンケレヴィッチは、それを巧みに言い表しています:「フォーレの美学な ど存在しない(…)フォーレにとって作曲することは、言わずして為(な)すことなのだから」 と…… セドリック・ティベルギアン : フォーレの音楽は捉えどころがありません。彼を理解しようと するいかなる企ても、実を結ばぬ運命にあります。真に彼の作品を演奏できるようになるの は、理解を諦めたときです。 グザヴィエ・フィリップス : フォーレは伝統的な形式を用いて作曲しています。それゆえに私 たちは、彼の作品をつかみ、手中に収められるような錯覚を覚えます。しかし、それは上手く いきません。なぜなら、彼の音楽が放つものは、形式に由来しているわけではないからです。 むしろ、制約となりうるのに制約ではない形式の内部で、情熱や高揚といった全てのものが ほとばしり、表現されています。フォーレを演奏するさい、形式という枠組を聞き手に意識さ せないようにすることが重要で、それは困難を極めます。演奏者は、音楽の流れと高揚の中 に身を置かなければなりません。そのような姿勢は、あらゆる数学的ないし論理的な概念の 埒外(らちがい)にあります。
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