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ベアトリス·べリュ 37 じっさい、マーラーの〈アンダンテ·モデラート〉(《交響曲第6番》)の編曲において、どうすれ ばカウベルの音の効果をピアノで再現できるだろうか?――カリヨンに特有のハーモニー を取り入れてみればいい。音色は異なるが、鐘の響きをほのめかすことは可能だ。では、シ ェーンベルクの《浄夜》の編曲のさいに、弦楽合奏のインティメートな性格をピアノで表現 するにはどうすればよいだろう?――いや、実現不可能だ。それゆえに私は、弦楽六重奏曲 として書かれた原曲と一定の距離を置くことにした。リストのピアノ·ソナタの“鏡像作品”と して、《浄夜》のパラフレーズを構想したのだ。つまり私が目指したのは、メタモルフォーゼ( 変容)の技法を象徴的にあつかい、人間精神の内奥を掘り下げる単一楽章のピアノ独奏曲 である。いっぽう、マーラーの〈アダージェット〉の編曲においては、弦楽器の長い持続音を 支えるピアニスティックな伴奏を用いることによって、ささやかながらブラームスの《ピアノ 小品集》に敬意を表した。 編曲にあたって、私はマーラーとシェーンベルクの伝記を端から読みあさった。そして私は、 現実の出来事から着想を得ながら、二つの短い“小説”の構想を練った。この小説を読む方 々が、曲の創作の背景に身を浸すことができればさいわいである。 編曲は、原曲を裏切る行為だろうか?私はそうは思わない。むしろ編曲は、ある音楽作品に 宿る比類なき才能にオマージュを捧げる行為であり、原曲の神髄は、かたちが変わるだけ で変質はしない。そして編曲をとおして、私たちは19世紀の思想の普遍性に立ち返ること もできる。音楽は生きつづけなければならない。なぜならマーラーが述べたように、“伝統と は火を灯しつづけることであり、灰を崇拝することではない”のだから!

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