LDV15
37 フィリップ・カサール _ セドリック・ペシャ 最後に、テクスト至上主義の方々へ。 セドリック・ペシャと私は今回の録音においても演奏会においても、「人生の嵐」の前半の繰 り返しを行っていない。聴き手にとっても奏者にとっても、「人生の嵐」は極めて劇的で凝縮 されており、また過度の体力を要求する作品だ。さらに冒頭の連打和音の主題は、幾度も 繰り返される。そのため私たちには、反復を「無し」とする方が、感情的なインパクトをより強 められると思われた。ソナタ D959 の第 1 楽章の繰り返しも省いているが、その理由は 1828 年作の 3 曲の連弾作品をも CD に収めるための時間調整だけに限られない。ソナタ D960 の第 1 楽章のリピート記号前の“ 1 番括弧”内の経過部は、大きな演劇的効果を生むという意 味で根拠があるが、ソナタ D959 の第 1 楽章の場合は、反復が曲全体の展開に新しい要素 を加えることはない。私としてはスヴャトスラフ・リヒテルが残した言葉に若干の不満を抱い ている――「反復記号を無視するピアニストは音楽を愛してはいないのだ!」歴史に名を 残す偉大なシューベルト弾きの先達たち、アルトゥル・シュナーベル、エドゥアルト・エルトマ ン、ヴィルヘルム・ケンプ、アルフレッド・ブレンデルらの演奏でも、この第1楽章の繰り返し は省かれている。そこで紡ぎだされているシューベルトの一音一音はむしろ、絶えず一新さ れてきた彼ら“音楽仲間たち”の、不変の力を証明しているではないか。
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