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36 フランツ・シューベルト 一方で、シューベルトならではの幾つかの書法も――かつてない程に研ぎ澄まされて―― 再び顔を表す。その筆頭は、前進を促すリズム「短短/長」と(「人生の嵐」で執拗に用い られるリズム母型だ)、その派生形だがよりリラックスした印象を与える「長/短短短短」のリ ズム(《幻想曲》の「アレグロ・ヴィヴァーチェ」、ソナタの「アレグロ」と「アレグレット」の第 2 主 題)だろう。そして、主要な動機を高鳴らせ強調する音符や和音の連打(ソナタ D959 の第 1 楽章の全展開部、《ロンド ヘ長調 D951 》のエピソードの高音パート、幻想曲の幾つかの 箇所)。半音による遠隔調への転調――ヘ短調/嬰ヘ短調(《幻想曲》)、イ短調/変イ短 調、イ短調/変ロ短調(「人生の嵐」)、イ長調/変ロ長調(ソナタのアレグロ楽章の最後)。 さらにレントラーのリズムも散見される(ソナタのアレグロ楽章とスケルツォ楽章の展開部、「 人生の嵐」の第 2 主題に続く経過句、《ロンド D951 》の幾つかの動機)。 ソナタ D959 の第 1 楽章「アレグロ」は、輝かしさ、陽気さ、情熱が代わる代わる登場し、いた ずら心にも溢れている。そして催眠効果を帯びた最後のページが私たちを待ち受けてい る――地平線の彼方から近づいて来るかのようなピアニッシモによる主題の再現、ペダル で拡散される神秘的なアルペッジョが引き延ばす沈黙と待機。シューベルトは続く第 2 楽章 「アンダンティーノ」では、足が不自由な孤高の「さすらい人」を登場させ、私たちに最もむ きだしに表現される苦痛の中へと手探りで降りていく心積りをさせる。やがて「さすらい人」 の嘆きが一切聴こえなくなると、巨大な塊が生じ、鎖を解かれた「よそ者」は、それまでシュ ーベルトが想像したもの全てを器楽的な激昂で凌駕してしまう。何度か鳴らされる冷厳な 8 音の和音(彼の書法においては極めて稀だ)は、終焉を意味する。世界の終わり、音楽の 終わり。主人公は立ち上がろうと試みるが、残されているのは私たちを見つめるその目と、 最後の埋葬へと私たちを誘う魂だけだ。この後に、「スケルツォ」の幻覚、ウィーンの小劇場 で繰り広げられるダンスや気取りや媚など、どうしたら信じられるだろう?
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