LDV14
37 ショパンとドビュッシーに共通する点として、もう一つ、全ての音符が表現上の役割を持 っており、「補充」のためのものは一切ないということが挙げられると思います。 その通りです。どの場所にも一つとして無駄な音符はなく、悪趣味なものもありません。ショ パンの音楽にはすべてに役割があって、常に有機的に自然にはたらいています。不協和 音さえも話法の中に溶け込んでおり、それにはしかるべき理由があって、あまりにもきちんと 存在しているので、決して耳障りということがないのです。 ドビュッシーに手を差し伸べるショパンの音楽ということですが、前奏曲作品 45 は素晴 らしい曲であるにもかかわらず、過小評価されていますね。 まったく不当だと思います。この曲には並外れた豊かさがあります。この曲は、実験ラボラト リーに例えることができます。聴いていると、ショパンはこの曲を自分のために書いたような 気になります。常に転調し続け、ほとんど旋律がありません。鍵盤の低音部から響きが鳴り 始めて、アルペジオでこれが発展し、その頂点には旋律のエスキスのようなものがたった 3 音で表現されています。和声の化学合成とでも言えるような…… ショパンは新しい何かを 試みて、自分で楽しんでいるのです。まるで、自分が生み出す転調に酔いしれているよう です。扉が次々と開いていくような、もっと後の作品へ扉を開くような。年代を追ってみると、 この前奏曲は 2 番と 3 番のバラードの間に作曲されていますので、この CD でも 2 つのバラー ドの間に置くことにしました。 フィリップ・ビアンコーニ
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